難波家秘蔵映像4 別荘・阿智神社
昭和6年夏 当時芦屋市に在住していた難波家13代目難波富一郎とその家族は毎年お盆には富一郎の実家の難波家別荘に帰省しました。2024年11月に開業した倉敷東町の宿泊施設「撚る屋」での一家の休日を描いた動画をご覧ください。
■この動画について
難波家本宅の東町表通りを挟んで南側に建つ建物は、戦前は難波家の所有物でした。この建物の表通り沿いの部分は難波呉服店の支店として使われ、支店の南側の部分は別荘として使われていました。いずれの建物のも当家12代目当主の難波富一郎によって建てられました。
この動画が撮影された大正6年当時、弥一郎の長男難波富一郎はその妻と二人の子供と共に兵庫県の芦屋市に住んでいました。彼は大阪で銀行員として働いていましたが、毎年の御盆には家族をつれて倉敷に帰省していました。この動画は帰省した富一郎一家が倉敷の実家の別荘で過ごすお盆休みの様子を撮影したものです。
■動画の解説
最初にでてくる大きく筆でかかれたタイトルには「難波家別邸」とありますが、この解説文の中では我々難波家で伝えられている「別荘」という表現に統一しております。別邸=別荘とお考え下さい。
富一郎は父弥一郎と二人の子供を伴って別荘の玄関から出かけます。玄関は別荘の東側を通る路地に面した部分にありました。現在は撚る屋のスイートルーム専用の玄関となっています。
阿智神社へは鶴形山南側からの参道ではなく、東町や美和町の住人は東側の細い坂道より登っていきます。こちら側から登ると神社の手水舎の東側で大きな玉垣が並んでいる場所に出ます。ここに動画にあるような「難波弥一郎」の名前の入った玉垣が並んでいるのを見ることができます。
本殿にお参りした後、別荘に戻った一家は座敷の縁側で大人はビール、子供たちはジュースかサイダーを飲んで喉を潤します。弥一郎夫婦は多分息子の富一郎に促されて別荘の庭園を散歩します。明治元年生まれの富一郎はすこし照れながら妻を従えて庭園各所を歩いて回ります。