十六屋当主の動画解説
昭和7年阿知神社秋季例大祭と綿菓子
今この記事を書いている難波家15代目当主の私は、昭和34年生まれです。
私が子供のころ、地元の小学生たちにとって阿知神社のお祭りはすごく楽しいイベントでした。えびす通り商店街側の参道は、その入り口から本殿の下まで途切れることなく屋台が続いていたことを思い出します。お小遣いを握りしめて仲の良い友達とたこ焼き・アイスクリン・りんご飴などを食べて回り、食べるのに夢中になっていると後ろから素隠居にうちわで頭をぶったたかれるのが定番でした。あの頃に比べると屋台の数が少なくなってきたのが残念です。
この映像は難波家13代当主の難波富一郎によって昭和7年(1932年)10月に撮影されたものです。富一郎は難波家の家業の呉服屋を継がず、大学を卒業した後そのまま大手銀行に就職し、妻と二人の子供達と兵庫県の芦屋に居を構えていました。ただ盆正月お祭り等の行事があるときはその都度家族を伴い帰省していました。この映像もそのようなタイミングで撮影されたものです。
綿菓子を食べている少年は富一郎の長男の康訓です。昭和7年に綿菓子が存在していたことが驚きです。綿菓子製造機は1897年(明治30年)にアメリカで発明され、明治末~大正期に瞬く間に日本に広まったとのこと。なお、たこ焼きはこの動画より数年遅く昭和10年に大阪の会津屋が販売を始めています。
映像はまず東町の難波家本宅前の御神輿巡行から始まり、綿菓子を食べる康訓少年、路地や大原美術館周辺を巡行する神輿、境内に戻った神輿と参道、参拝客の様子・・と続いています。
この手の動画の楽しみの一つに撮影当時と現在がどの程度変わっているかを現地で比べてみるということがありますが、残念なことに東町、美観地区中心部、阿知神社と鶴形山など、90年を超える歳月を経た現在と動画に残された街並みはまったく変わっていません。それだけ美観地区の景観保存がうまくいっているということですが。
ただ動画の2:00~2:46あたりの店舗が並んでいる商店街と板塀にはさまれた住宅地内の路地の2か所の場所が私には特定できませんでした。もしこの場所がどこかお気づきの方がいらっしゃいましたら「お問い合わせ」のページよりお知らせください。