難波家秘蔵映像3 室戸台風
昭和9年9月 室戸台風は関西地方に甚大な被害を与えた。当時兵庫県芦屋市に住んでいた難波家13代目富一郎は愛用する16ミリ動画カメラを携え、被災地の中心部の大阪港に向かった。
■室戸台風とは
昭和9年(1934年)9月21日室戸台風は午前5時頃室戸岬に上陸した後、午前8時頃大阪と神戸の間に再上陸し、京阪神を中心に3000人余りの死者行方不明者を出しました。大阪港は60メートルを超える強風と高潮により壊滅的な被害を受けました。
昭和9年の室戸台風より今年(2024年)で90年になります。この90年前のスーパー台風の被災状況を公開することにより、地球温暖化により年々巨大化する台風への警戒を高めていただきたいと願っています。
■撮影者~難波富一郎について
難波家13代目難波富一郎
この動画は難波家13代目の富一郎によって撮影されました。当時の富一郎の実家のある倉敷東町では父の弥一郎が呉服店を営んでいましたが、富一郎は実家を継がず妻と二人の子供と一緒に兵庫県の芦屋市に住み、大阪で銀行員として働いていました。
富一郎の趣味は写真撮影で中学生の頃よりガラス乾板写真機を使っていたましたが、その趣味が高じ長女が生まれたころより16ミリフィルムの動画撮影用カメラを使い始めました。主な被写体は彼の二人の子供で、芦屋や倉敷に帰省した時の様子が多数残されてました。
彼が当時勤めていたのは三和銀行です。現在の三菱UFJ銀行の母体の一つで、室戸台風の1年前の昭和8年に鴻池銀行、山口銀行、三十四銀行の三行の合併により創立された銀行です。
銀行員として多くの顧客が被害を受けた可能性のある大阪港に自身の持つカメラを持って現状調査に駆け付けたのでしょうか? ・・・と疑問符を付けざるを得ない理由はこの後で述ます。
■撮影場所の特定
富一郎は芦屋市に在住していたいため、神戸港までの移動はハイヤーを利用したものと思われます。芦屋でも実家のある倉敷でもたびたびハイヤーを利用していたことが他の動画に残されています。
動画前半部分(2:08頃まで)の撮影は芦屋から当時の海岸線近くを通って大阪港に移動する途中で撮影したものと思われますが、高度成長期に大きく地形も変えられ現在となっては場所の特定は困難です。
後半の大阪港に着いてからの部分(2:09以降)は、大阪港近辺にに詳しい人なら特定可能な部分もあるのではないかと思います。
とりあえず自分が見た範囲では三菱マークの倉庫が撮影されている場所(4:50~)は、今も三菱の倉庫が立ち並んでいるユニバーサルスタジオの西側のあたりではないかということぐらいです。
■撮影日について
映像を見ると撮影は災害発生から数日以内と思われますが、撮影日を推定するにあたって動画上に重要なヒントが見られます。動画の3:47頃に女性と二人の子供がうつっている場面があります。この三人は富一郎の妻佐規子と長男、長女です。
当時の感覚からしても台風災害直後の被災地を家族連れで訪れ、動画を撮影しながら弁当を食べるという行為は非常識なことでしょう。現在ならこの動画は大炎上物です。この撮影が自身の勤める銀行のためのものであれば、たとえ家族を同行しても家族を撮影することは控えるべきだと思います。さきほど「銀行の顧客の被害状況を撮影するため」というところに疑問符をつけたのはこれが理由です。
話を撮影日の特定に戻します。
台風が襲来した9月21日は金曜日。一日置いた23日は日曜日。小学校に通っていた長男と幼稚園に通っていた長女が休みの日曜日に家族そろって被災地にでかけたという可能性が高いと思います。
完全な証拠というわけではありませんが、9月23日が撮影日としておきます。